第55回青少年読書感想文コンクール 県優秀作品
「一人ひとりの宝物」
石部中学校2年 A.H
知子は、ジャズと出会えたことを感謝した。 宝物を見付けた、そう思った。
『スウィングガールズ』のラストシーン。これがこの物語で一番印象に残った場面であり、一番印象に残った言葉でした。本気で熱中できる何かが誰にでも必ずあるんだ、私にそう教えてくれたのです。
私は今、卓球に一生懸命です。この夏休みも卓球づけの毎日。友子ならきっと「なんで夏休み始まったのにこんなどころに押し込められでなぎゃいげねなや!?」と叫んでいたに違いない体育館で、汗をポトポト落としながらラケットを振っていたのです。もちろん、練習が続いて疲れがたまってくると、ちょっと休みたいな、さぼりたいなと思ったこともありました。しかし、次の瞬間には、今ここでさぼったら強くなれない、それはいやだと気持ちが切り替わるのです。
だから、一つのことに集中して頑張るわけでもなく、ジャズの練習を始めてもごまかしや言い訳を重ねるだけの友子を見ていると、イラッとすることがありました。たしかに、楽器の演奏をするために、毎日ランニング五キロと言われると、思わず「なんで!?」と言い返したくなり、泣き言の一つも出てくるでしょう。でも、練習ってそういうものです。
そんな友子も音が出せるようになってくると、音楽って楽しい、もっと練習したいと気持ちが変わっていきます。意地悪く、練習が好きになってきたかと聞く拓雄に、「んなわげないべした!? しょうがねぐやってんの!」と、友子がふくれてみせたのは照れ隠し。拓雄にやらされているわけではなく、心から練習がしたいと感じているのです。
わかるよ、その気持ち。
私は思わずそうつぶやきました。友子たちを応援したくなってきたのは、そのころからでした。友子たち誰もが斜に構えることなく、気持ちが解放されたような、純粋な笑顔を見せるようになったのは、練習の結果が音として表れてきたから。私にもそんな経験がありました。今まで受け止めることができなかったサーブにもしっかり返球できるようになってきたとき、勝てないとあきらめていた相手から予想以上のポイントを奪うことができたとき、もっと強くなりたい! だから、練習したい! と心から願いました。
ところが、友子たちは吹奏楽部が元気に帰ってくるとお払い箱にされ、一度はみんなの心もバラバラになってしまいます。でも、このときにはもう大切な宝物が友子たちの心に育ち始めていました。全員が戻ってくるまで少し時間はかかりましたが、「仲直りの言葉はいらなかった。こうして一緒に演奏するだけで十分だった」という文章は、宝物が確実に大きくなっていたことを物語っていました。
一度出ていった人たちをそんな簡単に許せるのかなあ。私なら素直に戻れないし、素直に迎え入れられない。そう思うと、スウィングガールズとなった友子たちがうらやましくてたまりませんでした。
「みんなでやろう」と威勢のよかった体育祭。でも勢いは長続きせず、私たちの学級はまとまりのないまま本番を迎えてしまいました。原因をあげれば、リーダーのもと、一人ひとりのやる気を十分に発揮できなかったことでしょうか。でも、スウィングガールズに強力なリーダーがいたわけでもありません。にもかかわらず、みんなの気持ちが集まり、一つの音にまとまっていったのです。いったいどこに違いがあるというのでしょうか。
その一つは、演奏することが生活の一部にまでなっていた友子たちと、短い期間で形を整えようとした私たちとの違い。つまり、どれだけ「楽しもう」という気持ちがあるかどうかの違いだと思います。スポーツも、勉強も、特技も趣味もなくったって、生きて行くには困らないと考えていた友子が、仲間とともに自分から立ち向かっていくようになったのは大きな変化です。友子の責任で音楽祭の出場が危ぶまれたとき、「またスウィングすれば、きっとみんなは許してくれる」と言ってサックスを差し出した拓雄には、友子やみんなの変化がわかっていたのです。だから、音楽祭では「スウィングガールズも、観客も、誰もが ”スウィング“ していた」ほど楽しめたのだと思います。
私が頑張っている卓球はシングルスです。試合で仲間の力を借りるわけにはいきません。だから、私は自分で頑張らなければと思い続けてきました。しかし、この物語を読んで、私は自分の宝物がみんなで取り組む部の活動にあることに気がつきました。
シングルスでも声援を送ることはできるし、声援を受けてふだん以上の力を発揮することもできるのです。だから、一人ではなく仲間とともに、卓球が「好き」という気持ちを大切にして、もっと自分の宝物を磨いていこうと思います。スウィングガールズとは目指すことが違っても、彼女たちを目指しながら。