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郷土の歴史―平成元年発行「新修石部町史」を転載して郷土学習の参考資料に供ししますー


白まゆみ石部の山の常盤なる命なれやも恋いつつをらむ


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石部南小学校郷土歴史
 平成元年3月石部教育委員会発行「新修石部町史」から転載


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発刊のことば                  石部町長 服部絢夫

 阿星連山を背に緑したたる美しい郷、野洲川の清き流れと肥沃な地に広がる里、東海・東山道の交通の要所として栄えてきた宿駅。わが石部町は、今や人口一万人を突破し、商工業もめざましい発展をとげ、まさにみどりいとうるおいのある文化都市であります。

 こうした発展の裡で「白まゆみ石部の山の常盤なる命なれやも恋ひつつをらむ」と『万葉集』に詠われた古きよき時代の心が、今も町民に脈々と刻まれていると確信しております。

 しかし、また、近年のめざましい都市化現象のなかで、文化遺産は、散逸の一途を辿っていることも事実であります。このような時嘲の中で、連綿と続いてきたふるさと石部の姿を後世に伝承することは、わたしたちの大きな使命であります。

 本町は、明治二十二年四月一日石部・東寺・西寺の三ケ村が合併し100年を、また、明治三十六年六月一日には石部町制が施行されて以来八十五周年の記念すべき年を迎えることができました。これを機会に、記念事業として町史の編纂事業に着手してまいりました。幸い、郷土史家や新進研究者の熱心な研鑽と、数多くの住民の方々から史料を得て、このたびようやく『新修石部町史』(通史篇)を発行する運びとなりました。

 通史篇は、ふるさと文化の香り高く、学問的水準を保ちながら、かつ現代人の誰にも親しまれるやさしい記述で編纂されております。

 本書が、先人の偉大なる歩みを学び、石部町の将来をより豊かに創造するための史料として町民を初め、多くの歴史を学ぶ方々のお役に立てば幸甚に存じます。

 本書の発行にあたり、格別のご尽力を賜わりました関係各位と町民の皆様に対し、深甚なる感謝の意を表し、発刊のごしさつと致します。


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梓弓いそべのこまつたが世にかよろずよかねてたねまきけん古今和歌集 

 古代の阿星山(693m)は、周囲の山々から抜きんでて、花崗岩が風化した石英砂礫に照り映えていたことでしょう。この地の人々にとって、南側に屏風を立てた気候は心地よく、古琵琶湖の干拓地に山清水が潤して実り豊かな緑の惠をもたらす。、そのような地に人も動物も集まって来たのでしょう。

 ときには荒すさぶ水に浸食されて創出した岩窟に、人々の信仰心を崇めたようで、古代遺跡や神社・仏閣に文化遺産として伝承されたものが多くあります。

 この地は、飛鳥・奈良・・・大津京・・・京都の都に近く、朝廷をはじめ、畿内の穀蔵ととして重要視され、保護さてきたようです。琵琶湖への大きな水路「野洲川」と東山道・東海道・伊勢道などの陸路とが交通の要所として、朝廷をはじめ統治者にとって枢要な場所でありました。もともと銅鐸や多くの大型古墳遺跡があることは、とても大きな力もつ豪族が存在し、有史以前の大昔から栄えていたことが想定されます。

 1958年の発掘調査で明らかになった、六世紀の「宮の森古墳」には多量の埴輪が配置されていたことが確認されました。

 同時期の古墳として、町を流れる野洲川の北側対岸、三上山の麓の桜生公園内の円山古墳と甲山古墳の石室が、天草宇土半島の阿蘇溶解岩製と解析されたこと等々から、当時が想像されて、古代のロマンを掻き立てるものがあります。

 八世紀には、聖武天皇の「信楽離宮」「大仏建立」にまつわって、名大の「行基」「良弁」縁の常楽寺・長寿寺等々、列記とした史実が伝わっています。

 よって、古代から近現代に至るまで、古くは律令制度のもと歴代の名高い領主さまの公家荘園・寺内領・武家領地の下にあって、国衙令示と惣村規範に基づいて治山治水が進められてきたことが読み取れます。

 石部宿場町としてのいろいろな興味ある史実とか、天保の義民の史実等々、この地の祖々の足跡に大きな感動を覚えます。


 
戦後の農地改革により土地制度は著しく改変され、民主化されましたが、 阿星山の登山道をこのようにきれいに整備されています。このことは確かな自治組織がなければ出来ないことでありしょう。
 
 一方、今日の社会はいよいよグローバル化が進み、広い世界へ飛翔しようとする若者を土地に留めて置けなくなってきました。これからの共同の山・里・小川の管理はどのように推移して行くのでありましょうか。

 全国的に、農村人口は老齢化が進み減少してきています。
 畢竟、私有の田畑は守られても、公有地の管理までは行き届かなくなり、イノシシやシカが里を荒すようになってきています。

 比叡のお山は京滋から多くのボランティアが集って、整備してくれました。

 阿星のお山は明治36年以来の石部村住民が管理しています。これからは、より大きな組織のコミュニティに呼びかけなければならなくなってはいないでしょうか。

 この「新修石部町史」から、今日ある郷土の自然・土地柄・そこに住む人々の歴史を十分に斟酌しつつ、これまでの美しい自然環境を大切にして、ここに住む人々の文化とくらしがさらに向上するように考え合わねばならないことだろうと思います。

 このような意思を子どもたちにも伝えていけたらと思って、郷土歴史を学ぶ資料として転写させていただきました。

石部南小学校パソコン教室より 


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