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中世の石部


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第一章 鎌倉・南北時代の石部

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第四節 仏教芸術の興隆

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南北朝時代の文化財

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 建造物 石部町域に残される鎌倉・南北朝時代の文化財も、平安時代同様やはり仏教文化の遺産が多い。ひとくちに仏教といってもいろいろな宗派があるが、平安時代までは天台・真言両宗および南都系仏教のおおむね三派にかぎられていたといえる。しかし鎌倉時代の開獏とともに、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮らが輩出し、それぞれに一宗を興して、世はいわゆる鎌倉新仏教の時代となる。それはたしかに日本の歴史上きわめて重大な出来事ではあったが、忘れてはならないのは、この時代には天台・真言・南都のいわゆる旧仏教の勢力はなおも持続していたという事実である。そしてこの時期の仏教美術の多くは、やはり旧仏教を中心として生まれているのである。

 新仏教の諸師は、ひたすら阿弥陀仏の名号を唱えること、ひたすら坐禅を組むこと、ひたすら法華経を信じることなどのみを重視し、他の諸行、たとえば堂舎の建立や仏像の造立などには高い価値を見出さなかった。したがって、新仏教諸派は仏教美術をあまり必要としなかったという言い方も可能である。しかし近江の中でも、特に長寿寺・常楽寺という天台の大寺院を擁する石部の地は、すぐには新仏教の勢力が浸透せず、中世前期にはなおも天台王国であったということができよう。したがって、この時期の文化財も多くは天台系統のものであるが、一部に浄土宗の影響はみることができるようである。

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 絵画 絵画のジャンルでは長寿寺の二件の作品が注目される。まず県指定文化財の観経変相図だが、東寺には鎌倉時代の観経変相図のあることは先に述べた。法量のわずかな相違がみられるが、図像的には同一のやはり当麻曼荼羅形式である。前述した一幅が暖色系の色彩を中心にしたやわらかな賦採法をみせていたのに対し、やや大きめのこちらの一幅は金泥や切金を多用して、明快ではあるがかたい印象を与えることは否めない。個々の描線には明らかに形式化の痕がうかがえ、制作期が南北朝期に下ることを意味していよう。

 同じく長寿寺の十二天像も注目すべき作品である。十二天像は密教寺院における修法や灌頂に際して道場内にめぐらし、秘密壇を守護するための画像で、台密・東密の別なく使用された。奈良・西大寺本や京都国立博物館本(旧東寺蔵)などの古本では坐像形式に表されるが、鎌倉時代以降は立像形式に変わってゆく。本図は図像的に聖衆来迎寺本に近いものの、それに比べると写しくずれと評さざるをえない描線のかたさがあるほか、来迎寺本にみられる平安末期の風を残す豊醸な賦採法は失われてしまっている。しかしながら十二天像の台密における図像的展開の把握のためにも、本図のもつ価値は大きいといえる。

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 彫刻その他 本町域における南北朝期の代表的な彫刻としては、まず常楽寺本堂の本尊秘仏千手観音坐像(重文)がある。カヤ(榧)を材とする寄木造で、素地仕上げである。根幹部は前後二材矧とし、適宜に別材を矧ぐ。膝前の厚く硬い衣文表現、表情を押し殺したような面貌などにより、南北朝時代の作と考えられる。本堂再建勧進状によると、延文五年の火災の際には本尊は救い出されたというが、本像の像立期は本堂再建時とほぼ一致するものといえよう。

 吉姫神社の社殿に安置される阿・吽一対の狛犬は像高約65cmの彩色像で、ヒノキ材の寄木造だが内刳はおこなわない。阿形は右前足をやや前に出して首を少し左に振り、吽形は左前足を一歩前に出して蹲居する。胸の張が豊かで、たてがみの彫出にもダイナミズムが感じられ、南北朝時代の作として不自然ではなかろう。

 南北朝時代の文化財としては、このほかにも長寿寺文書、吉川家文書などをはじめとする文書群の中にも見出すことができる。しかし本筋では現存する美術工芸品を中心とした叙述を目的としており、またそれら文書群に記されているものについてはここではとりあげずにおくこととする。