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石部頭首工(治水事業) 農耕改良(圃場整備事業) 教育設備拡充(教育推進事業) 街のにぎわい(商工業誘致推進)

近・現代と石部


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第三章 近代社会の発展と石部

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第一節 町村制の施行

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三新法の改正

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 連合戸長制 明治十年代はじめに制定された三新法は、町村自治を許容した。もちろん、それは国・府県と郡の監督下においてであったが、戸長は公選を原則とし、町村会自治費用(町村費)については審議権を有した(第一章一節参照)。しかし、明治十年代中ごろから始まるいわゆる松方デフレによって農民層の階層分化がすすみ、国家財政の負担が地方財政へ転嫁されることにより町村財政が危機に陥るに及んで、三新法体制は改組を余儀なくされるに至った。しかも、このころには自由民権運動の発展を背景に、一部の府県で政党勢力が町村にまで浸透し、政府はそれを阻止する必要にも迫られていたのである。連合戸長制と呼ばれる明治十七年(1884)五月の地方制度の改革は、このような状況への制度的対応であった。その改正内容は多岐にわたるが、あえて一言でいえば、町村自治を制約して代わりに官僚による支配を強めたことである。たとえば、戸長の選挙方法を改めて官選としたこと、戸長の権限を強化して町村会への統制を強めたこと、および戸長役場所轄区域を拡大したことに端的に表れていた。

 これらの改正内容についてここで詳しくみることは避けるが、今日の石部町の区域の原型がこのときに形成されているので、それとの関連で戸長役場所轄区域の拡大について以下みていこう。

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 戸長役場の統廃合
 明治十七年五月から六月にかけて、政府(内務卿山県有朋)は経費節減と有能な戸長の登用という事由を掲げて、一戸長役場の所轄区域を次のように拡大するよう、地方に訓示した。すなわち、一戸長役場の所轄区域を500戸とし、それを目安に五ヶ町村までの範囲で町村連合を行わせるものであった。当時、一町村の全国平均戸数は約100戸(人口は500人)であったので、これによっておよそ五倍にまで拡大することが見込まれていた。

 滋賀県では、早速同年七月から政府の方針にしたがったが区域の画定に着手した(無号「編成下調心得」布達)。しかし、この作業は地形をはじめ「行政ノ便否水理ノ関係ヲ以テ査定ス」る必要があったので難行し、所轄区域が最終的に定まったのは翌明治十八年(1885)五月であった。ともかくこれのよって、県下(町村数1,673)は199の戸長役場にまで、甲賀郡(同124)では25にまで統廃合された。それまでも一町村が原則通り一戸長役場を設置しているとは限らなかったが、しかし、このときだけで県下は10分の1近くに、甲賀郡は5分の1ほどに戸長役場は減少した。

 さて、石部についてみると、石部・東寺・西寺の三ヶ村はこのときから連合することとなり、明治十八年七月石部村(現在の大字石部3438番地)に「石部村外二ヶ村戸長役場」が設置された。三村合わせた戸数は730戸で甲賀郡では四番目と大きい方に属していた(甲賀郡の一戸長役場所轄平均戸数526戸)。三村の連合へと至る過程には、おそらく郡長からそれぞれの村の「重立ちたる者」へ打診があったであろうし、彼らのうちであるいは近辺の村々を交えての話し合いがもたれたと推測される。初代連合戸長はかって区長を努めたことのある三大寺専治がなり、井上国正が補佐した(ともに石部村出身)。

 ここで、石部を中心とした行政区の変遷についてふりかえっておこう。表65は、明治初年から同二十二年(1889)の町村制施行までをまとめたものである。行政区の変遷過程は、他町村では煩雑となるのが普通であるが、石部村(町)の場合はたいへん簡単である。それは、石部・東寺・西寺の三村による行政区域は、連合戸長制から町村制へ移行した際も、さらには今日に至るまで変わらないで続いているからである。石部町のように、明治十年代の行政区域をそのまま継承している町村は甲賀郡にはほかになく、県下でも珍しいであろう。戸長役場がひとつとなったので、村会も各村「単立」のそれとあわせて、「石部村外連合村会」もひらかれることになった。早速、明治十八年から連合村費の収支予算が作られ、三村の負担額も決められている(表66)。また、連合村会の議題は、学事に関しては尋常・簡易両小学校の設置場所や教員などの給料、授業料改正について、衛生では主に種痘の実施について、また勧業では茶業や蚕業の勧奨についてであった(『東寺地区共有文書』、『西寺地区共有文書』)。