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石部頭首工(治水事業) 農耕改良(圃場整備事業) 教育設備拡充(教育推進事業) 街のにぎわい(商工業誘致推進)

近・現代と石部


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第五章 現代社会の展開と石部

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第二節 石部の発展とその特性

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人口と財政の動き

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 人口の推移 戦後における石部町の人口推移は図57に示したとおりである。それによると、終戦当時の昭和二十年(1945)には4,396人であった。同二十五年には、戦時下に石部町で疎開・寄留していた多くの人が都市に戻ったために、4,273人に減少した。同三十年に終戦時の人口を越え、同四十年以降は、毎年1,000人前後の増加をみた。同五十五年8,705人となり、戦後35年間で人口は倍増した。同六十二年には10,000人を突破し、同六十三年十二月現在、10,550人で、同二十年の人口の2.4倍になっている。

 世帯数の推移をみると、人口と同様の傾向を示している。世帯数は同二十五年に一旦減少したが、その後は着実に増加し続け、同六十三年には3,000戸のせまり、どう二十年の世帯数の3倍以上に及んでいる。

 人口動態についてもふれておく。自然増減をみると、出生人口は同三十八年ごろから100人を越えるようになったが、死亡人口は50人以下の年がほとんどである。社会増減では、転入人口が同五十五・六年に400人台に落ち込んだが、同四十四年以降500人以上の転入者があった。他方、転出人口は同四十四年以降400人台が中心になっている。社会増加が著しい期間は同四十五年~四十八年と五十一年~五十三年である。

 (「図57-戦後の人口推移」および「図58-産業別就業人口の推移」は掲載できませんので、「新修石部町史ー通史編ー677ページ」(湖南市立図書館)をご参照ください。)

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 就業人口の変化
 石部町における産業就業人口の推移を示したのが図58である。同二十五年に第一次産業(農業・林業)の就業人口は894人、全体の40.8%に達していた。それ以降、第一次産業の就業人口は減少の一途をたどり、同三十五年には前より300人減って、全体の27.6%となった。同四十年には、就業人数・比率ともに同二十五年の半数になり、同六十年になると、107人で、わずか2.3%にとどまっている。

 一方、第二次産業(建設業・製造業など)の就業人口は、同二十五年に379人、21.0%であったが、同三十五年に第二次産業の就業人口は800人で、37.3%となり、産業別の首位となった。それ以降も着実に増加し続け、どう四十五年には1,760人で52.4%と、全体の半分を占めるようになった。こうした増加傾向はその後も続き、どう六十年においても2,416人、53.6%になっている。いじょうのことから、同三十五年から四十五年にかけて本町の就業構造が農業から製造業や建設業を中心とした第二次産業へと変化したことがうかがえる。

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 町村政の健全化
 昭和二十五年から六十年までの一般会計収支状況をみると、どう二十五年の一般会計は歳入991.3万円、歳出991.1万円であったが、同二十七年には1,000万円台となった。同二十九年から三十一年、三十三年、四十年には赤字財政となったが、それ以外は黒字財政を維持してきた。同三十七年には歳出入ともに1億円台になり、同三十九年を除いて、一般会計の歳出入額は着実に伸長してきた。同五十年には10億円に達し、さらに、五年後の同五十五年には倍増して22億円となった。歳出入の差引(次年度繰越金)は同五十一年以降(同五十三年、五十六年をのぞく)、一億円以上に及び、健全財政となっている。

 年度別一般会計決算状況の歳出入を費目別にみると、歳入のうち、主たる財源は町民税や地方交付税、国・県支出金、地方債(町債)である。町民税と町債が歳入全体に占める比率をみると、町民税は同三十年に24.3%であったが以後その比率を高め同六十年には50.4%台になっている。また、町債は3%から多い時には20%台を変動している。町民税と町債の合計は全体の40~50%程度に達するが、その町民税と町債には当然ながら対応関係が見られる。町民税に十分期待しえない状況げには町債で補填し、町民税収入が順調に伸びることが期待されると町債は最小限に抑えられている。

 一般会計決算を財源別にみたものが表79である。自主財源(町内から入ってくる財源)は町税、分担金・負担金、使用料・手数料・財産収入・寄付金・繰越金や諸収入である。これに対して、依存財源(国や県からの交付される財源)は地方譲与税、県税交付金、地方交付金、国・県支出金、町債などである。同三十年以降において、自主財源が同五十年を除いて、50%以上にばり、自立した財源を維持している。同六十年より自主財源率はさらに高くなり、65%を越えている。

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 地域の変動と特性
 高度経済成長期における地域変動は全国的な趨勢であったが、石部町においても同三十五年以降に人口と産業の両面に大きな変動があった。こうした地域変動をもとに次の三つの特性から石部町の地域像を把握したい。

 まず、第一に農業地域としての石部である。昭和三十五年以前には農業が石部町の基幹産業であったが、現在においても町内には田園風景が多くみられ、農業も堅実に営まれている。第二に、石部町人口急増の原因となった同三十五年以降の地域変動(工場進出と宅地開発)からみた特性が考えられる。すなわち、内陸工業地域としての石部である。就業人口の変化にみたように、同三十五年から四十五年ごろにかけて、工場が町内に積極的に誘致されたことから、地域の工業化が進んだ。第三に、住宅都市としての石部である。人口動態の推移で示したとおり、同四十五年ごろから社会増加(流入人口の増大)は顕著となり、町内でさかんに住宅開発が行われ、石部町は京都・大阪の通勤圏内にあり、ベットタウン化したのである。以下では、農業地域、内陸工業地域、住宅都市といった地域特性から石部町の地域像を浮き彫りにしていく。