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石部頭首工(治水事業) 農耕改良(圃場整備事業) 教育設備拡充(教育推進事業) 街のにぎわい(商工業誘致推進)

近・現代と石部


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第五章 現代社会の展開と石部

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第四節 新しい教育

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石部幼稚園と保育園

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 石部幼稚園 新学制の施行によって幼稚園は、文部省の通達もあって学校教育体系の一環として基礎段階にくみこまれ、就学前教育として位置づけ、目的・使命が明確に打ち出された。これらを受けて石部町では、幼児教育への関心が次第に高まり、幼稚園の開設を求める世論が広がっていった。昭和五十二年四月三日、すでに完成していた幼稚園舎を一般に公開し、関係者、来賓多数参列の上、竣工式・開園式が行われた。五才児は128人で四組に分けられて、同三十一年度に作成された幼稚園教育要綱「健康・社会・自然・言語・音楽リズム・絵画製作」と六領域の分類にしたがって、日課表にそって保育指導がなされた。育成の具体的目標は、なにごとも自分でやろうとする子ども、友だちと自由に仲よく遊べる子ども、美しい・暖かい心のもてる子ども、じょうぶな体をもつような子どもづくりであった。昭和五十二年度の、主な行事は、<四月から五月>身体検査・誕生日会・母と子の集い・上葦穂神社(甲西町柑子袋)への遠足・芋苗植え、<六月から七月>プール開き・七夕の集い・避難訓練・PTAバザー、<八月から九月>夏休み・夕べのつどい・親と子の写生大会・交通安全教室、<十月から十一月>西寺常楽寺への秋の遠足・第一回運動会・京都桃山城へのバス旅行・作品展覧会・日本精工見学、<十二月から一月>PTA球技大会・もちつき大会・クリスマスの集い・郵便局見学、<二月から三月>小学校一日見学・親と子のレクリエーション・記念植樹・第一回卒園式・終了式などであった。

 同五十三年五月、PTA文化部の奉仕作業により花壇が、また園児の遊び場として砂場が完成した。八月にはPTA奉仕作業によって池や築山も完成した。

 同五十五年八月、固定遊具が設置され、色とりどりに塗装されて園児の興味をそそった。同五十七年、教育目標を具体的に園児の健康づくりのため、朝に乾布摩擦を始める。同六十年十一月、PTA本部役員および、厚生部員が手作り遊具、ぬいぐるみを製作した。開園以来PTAの努力によって教育環境が一段と整備されていった。同六十一年十月、創立十周年を迎えて記念式典が開かれ、「育ての知恵」と題した記念講演があった。

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 石部保育園・阿星保育園 昭和の始め農繁期託児所が各所で開設されてきたが、戦後、世の中が安定するとより高い文化生活を求めて、働く婦人が増加し、保育に欠ける児童のための保育所の設置が求められた。保育の充実を目ざして石部町では、同二十九年七月、石部小学校に隣接する石部公民館に、町立保育所を開設し、児童の保育に努めた。当初定員は76人であった。その後、同二十九年九月、現在地石部町石部3060番に移転した。ていいん100人増加され同五十三年十一月、現在の位置に改築され、ていいん180人に増加して今に至っている。阿星保育所は同四十八年四月、ていいん60人で石部保育所より現在地(石部町東寺963)に分離開設した。所長・主任保母・保母・用務員など7人の職員で発足した。その後、PTAを結成した。翌四十九年、定員90人に増加した。しかし、実数は100人であったが、次第に減少して同六十二年では56人となった。

 石部保育所、阿星保育所ともに、保育目標は、自分のことは自分でする、明るい健康な子ども、約束を守れる子ども、ゆたかな美しい心の子ども、だれとでも仲よく遊べる子どもづくりにあった。この目標を具体化するために、社会見学・いも苗植え・七夕のつどい・プール遊び・カレーライスつくり・親子遠足・いも掘り・もちつき・お店ごっこ・クリスマスの集い・ししまい見学・レストランごっこ・生活発表会・ひなまつりの集いなどの行事を催された。さらに日常保育の中で、自由遊び・片づけ・体操・排泄・手洗い指導・準備と自分たちでの給食、おやつなど目標とした。